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風間家の歴史

風間氏は、日本の氏族の一つ。 天元2年(979)に信濃国水内郡の式内社である風間神社に派遣された諏訪一族が風間姓を名乗ったのが発祥とされています。

1680年代前半、当時、新発田藩新津沢海支藩(壱万石)溝口政親の家臣であった風間新五兵衛が、浪人の身となり、町人となって村上に移り住みました。 後に、沢海藩は廃藩となっています。

商家としての風間家は、倅(せがれ)が小商いに乗り出したことに始まります。

倅の二人の息子もまた、太物類を中心として特定の品物にこだわらない仕入れや行商を主とする兄と、太物・小間物・両替商を中心とする店商いを主とした弟。二人で全体としてもりたてることに成功しました。

特に商才のあった弟に家督を譲った兄は、商いの競合を避けるためもあり、酒田に移って薬種店を営みました。

娘とその子(孫)に一応社会的に独立した分家として遇するように財産を分与しました。その子(孫)が、鶴岡 風間家の初代、幸右衛門です。

鶴岡風間家の創業

安永8年(1779)鶴岡城下とその周辺を販売市場とし、呉服・太物・古手など呉服関連商品の商いをしました。とくに武士層・上層の町民・農民を顧客として、日本海沿いに品物を運ぶ廻船問屋を経由して、京都・大阪から仕入れを行っていました。1822年、荘内藩酒井家が「御上洛」した際に相応の負担をしたことにより、『御用達』を仰せつかることになったと思われます。

幕末期には鶴岡一の豪商として名を連ねています。

明治16年以降の「松方デフレ」により、明治19年に呉服商を廃業して、金融活動や地主経営に活路を見出しました。

明治29年(1896)、七代目幸右衛門が店舗兼住宅『丙申堂』を、明治43年に別邸『釋迦堂』を建てました。

大正6年(1917)、金貸業を廃業して新たに株式会社風間銀行を設立しました。

昭和7年(1932)、八代目幸右衛門が社会事業団体である財団法人克念社を設立。日本仏教の研究助成、育英・奨学資金の給付、救恤・扶助、社会事業に対する助成等々、現在も引き継がれています。

昭和16年(1941)、国の施策により、第六十七銀行・鶴岡銀行・

出羽銀行・風間銀行が合併して現在の荘内銀行となりました。

平成22年(2010)、九代目死去

 

『丙申堂』『釋迦堂』共に、公益財団法人克念社が管理しています。

 

城址

風間家屋敷

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